札幌シルバーバーチ読書会

直近の読書会の報告(New)

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札幌シルバーバーチの会では、毎月開催されている読書会を「読書会の報告」としてアーカイブ化しておりますが、直近の読書会の報告を掲載するページを作成しました。是非参考にしていただければ幸いです。

第71回札幌シルバーバーチ読書会の報告

 去る8月23日(土)に第71回の札幌シルバーバーチ読書会が4名の皆様の参加で開催されました。前半では、スピリチュアリズム思想体系Ⅰの死生観の(6)「死」に類似した現象ー幽体離脱(臨死体験)(7)「死」に関する様々な問題(8)「死」に関する社会的慣習・宗教的行事について学びました。後半では、最近のインフォーメーションについて解説しました。
 前半の死生観の後半の講義では、まず(6)「死」に類似した現象=幽体離脱(臨死体験)について学びました。これまで、幽体離脱や臨死体験などは、特別な人間だけが体験する稀な現象だと思われて来ました。しかし、シルバーバーチはすべての人間が睡眠中に幽体離脱をしているという驚異的な霊的事実を明らかにしました。死とは霊体と肉体が分離してシルバーコードが切れてしまうことですが、幽体離脱とは、シルバーコードが繋がった状態で霊体が分離して死後の世界を訪れて覚醒後にそれを思い出すという体験が幽体離脱であり、臨死体験です。こうした睡眠中の幽体離脱の体験は、死後霊界という新しい環境への適応が促進される機会となります。つまり霊界での生活のリハーサルになっています。
 次に(7)「死」に関する様々な問題では、・自殺・死刑制度・安楽死・延命治療と尊厳死・臓器移植と脳死についてスピリチュアリズムの霊的視点からどのように捉えるべきかを学びました。まず、自殺については、霊的観点から見ると生命は自分のものではなく、神から与えられたものであり自分で勝手に生命を捨て去ることは摂理違反であり許されないからです。自殺をした人は、死後の世界において真っ暗な中で孤独の時を過ごし、自分が犯した罪の大きさを知り、強い後悔の念に苛まれることになると学びました。次に死刑制度について霊的事実からみれば、間違っています。例え罪を犯した人間でもその生命は、神から与えられたものであり、その生命を国家権力によって奪うことは許されないということです。死刑制度は人間の恐怖心に訴えて犯罪を抑制しようとする狙いがありますが、実際には何一つ問題の解決には繋がらず強制的に生命を奪われた人間は憎しみを募らせ霊界からさらなる悪事を働くようになります。死刑ではなく、終身刑にすべきだといいます。
 次に安楽死は、医学的に見て治る見込みのない病人を痛みや苦しみから解放するために医学的処置によって死に至らしめることですが、霊的観点からみると間違いであると言います。それは、生命はどこまでも神から与えられたものであり人間が勝手に葬り去ることは間違っているということです。瀕死の状態で苦しんでいる患者は、その間にカルマを切るプロセスを歩んでいたり、何らかの霊的学びをしているのです。死は自然のなりゆきに任せるべきというのがスピリチュアリズムの見解です。一方尊厳死は、死に直面している患者を無理に生き長らえさせるのではなく、自然に死を迎えられるようにすることです。スピリチュアリズムでは延命治療にはあえて意義を認めませんが、尊厳死はその意義を認めています。最も尊重されるべきは、寿命が延びることではなく生命の尊厳性であるとしています。
 臓器移植について、霊的視点からみると賛同できず、脳死を人の死と考えるのは間違っているとうのがスピリチュアリズムの見解です。死の判断基準はシルバーコードが切れた瞬間であり、脳が働かなくなっても霊的部分は生きておりカルマの精算を行っているので、脳死した人からの臓器移植という行為は明らかに間違っているといいます。
 (8)の「死」に関する社会的慣習・宗教的行についてはその代表が葬式と墓ですが、霊的観点からみれば、どちらも今のあり方は間違っているといいます。霊的事実に基づいた葬式とは、重い肉体を脱ぎ捨て霊界に旅立つための喜びのときなので、霊界での再開を心待ちにして死者を見送るのが正しい葬式のあり方です。形式はどのようであっても良いといいます。また霊的視点から死者を埋葬する場所である墓はあってもなくても良いものだといいます。仏壇や位牌も必要ではなく霊的視点からはこれらは間違った慣習ということになります。

 後半の最近のインフォメーションの解説では、インフォメーション47と48の内容をポイントを整理してイエスの地上再臨についての内容を整理して参加者の理解を深めました。

【参加者の感想】

私は長年医療の世界にいました。そこは見事に唯物史観に覆われたところです。“死“は全ての終わりであり、”死”は出来る限り先へと延ばすことが“是”とされています。従って、“がん“と診断が下れば、例えその治療が効果ないことを知りながらも、患者に抗がん剤治療を勧めます。そしてその治療の間、患者は塗炭の苦しみを味わうことに成ります。それでも、病気が癒えれば良いのですが、多くは免疫力低下により、死期を早める結果となって仕舞います。このことを疑問に思う医療者も居ますが、その数は全体的に見ればごく少数なのです。スピリチュアリズムは死は終わりではなく、ただ肉体を脱ぎ捨てて霊体だけとなって、新しい人生を歩みだす、その時であることを訓えてくれています。決して悲しいことではありません。むしろ肉体という重苦しい鎧を脱ぎ捨てて自由の身となる、喜びの時であるということなのです。一刻も早く、この事実を人類が学び、気づいて下さることを祈っています。(80代女性)

○死とは何かをしることで、国の制度、司法、医療等の考え方が大きく変わってくると思われます。シルバーバーチの霊訓がたくさんの人に読まれ理解されるように今後も努力したいと思います。また全ての生命が大霊のものということを理解できれば戦争などの殺し合いも起きないのではないかと思います。(60代男性)

○死生観の後半を学びました。死は、解放であるあるという事を最近強く感じていました。“死“を学び、理解するということは同時に“生“についても正しく学べるということになります。いかに生きるのか、何のために生まれてきたのか、何故病気になるのか、様々なことに対する学びと理解がスムーズになって素晴らしい学習ができたと思います。(50代女性)

○この度は、死生観の後半について学びました。死について正しい理解を得るということは日々生きていることにも大きな影響があります。惰性で何となく生きるということでなく、人生を意義のあるもの、価値のあるものにしていくためには、正しい死生観、人生観、人間観を身につけるともとにそれを自分の価値観の中心に据えていく必要があります。日々学びの毎日ですが、スピリチュアリズムに基づく霊的人生を一歩一歩噛み締めながら歩んで行きたいと思います。(60代男性)