6月17日(日)6名の参加で第9回札幌シルバーバーチ読書会が、かでる2・7にて開催されました。この度は、シルバーバーチの教え(上)の第11章「死後の世界」と12章「睡眠中は何をしているのか」を輪読し、後半は第8回の人間観、人生観に続いてスピリチュアリズムの思想体系[Ⅰ]の「死生観」と「死の直後の様子」について学びました。前日の6月16日(土)には、第3回東京スピリチュアリズムサークル読書会にも参加し、スピリチュアリズムの思想体系[Ⅱ]の「概要」と「神観」について学んで来ました。この内容については、ブログでも紹介します。
今回は輪読した内容と後半のレクチャーの内容が一致していたので、後半の「死生観」と「死の直後の様子」の学習内容を要約してみます。まず「死生観」では、死に対する様々な考え方(唯物論的な考え、宗教における一般的な考え、スピリチュアリズムの死生観、シルバーバーチの死生観)を学びました。極端に唯物的な考え方をする人も少数はいるものの、一般的には何らかの宗教を信仰している人は多いのですが、宗教ごと、宗派ごとにに死に対する考え方は違っています。最大の原因はどの宗教も死の真実を知らないこと、すなわち霊的無知であるということになります。また唯物論者は人は死によって無に帰すと考えますが、死に直面すると恐怖を感じ、死別の悲しみから逃れることはできません。また従来の宗教の説く死に対する考え方では、現代人には説得力がなく、結局恐怖から逃れるための盲信や狂信につながっています。19世紀半ばに登場したスピリチュアリズムは、死の問題を科学の時代に再登場させました。宗教という形式ではなく、霊的事実に基づく霊的思想という形で、死の問題・課題に回答を示したのです。またさまざまな心霊現象を科学的に研究し、霊魂の存在を客観的事実として証明しました。
スピリチュアリズムにおける死の定義とは、「人間の肉体と霊体を結んでいたシルバーコードが切れ、肉体と霊体が永久に分離すること」としています。この際、肉体は朽ち果てて分解されて大地に戻りますが、死によって人間は霊体という新しい身体をまとって存在することになります。スピリチュアリズムでは、死によって自分自身はなくならないので、死を恐れる必要はないことになります。また生前、愛し合った人間とも死後再び会うことができるので、死は永遠の別離にはならないので、死別を悲しむ必要もなくなります。シルバーバーチは、「死は喜び、地上人生に対するご褒美であり、死別は新しい人生の出発であり、霊界人生の始まりとして祝福すべき」と語っています。
結論として死後についての霊的知識は、地上人がもつべき最も重要な知識であり常識であるということであり、霊的知識のない人の死後は、突然見知らぬ海外に放り出されたのと同じであるということです。また霊的真理を知っているかどうかは「死の自覚」に決定的な影響をもたらします。霊的真理を知っていれば、自分の死を自覚して次のプロセスに進んでいきますが、霊的真理を知らなければ、死を自覚するまでに遠回りをしなければならないのです。
以上要約でした。
参加者の感想を以下に記します。
〇死の眠りから覚めたあと、幽界では審判があり、自分で自分を裁くということが行われます。私たちは、地上にいる間は霊的意識が薄ぼんやりしており、幽界での審判のように明瞭に自分自身を見つめることができません。しかし、できる限り地上にあっても高めてするどく自分自身をみつめられるようにしたいと思います。そうすることで、地上にありながら、正しく道を歩めるでしょう。できるだけ後悔のない地上人生としたいものです。
〇物質世界で生活しているため、頭で理解している霊性向上のための「霊主肉従」「利他主義の実践」は、なかなかできません。今日は摂理に沿った一日を過ごせたと振り返ることは、ほとんど無いのが実情です。しかし、毎日霊主肉従や利他愛を意識していくことも半歩でも前に進むことだと信じて生きていきたいです。そして時期の来た人に出会うことを念じています。
〇今まで多くの人の死を見てきましたが、シルバーバーチを学習して死の内容が理解でき、精神的にも安心することができました。これからもできるだけ多くの人にシルバーバーチの教えを広めていきたいと思います。
〇霊主肉従の生活と思っていても思い通りに進みません。死までの期間を一定期間と考えて、一日一日を充実させていきたいと思います。死の恐怖を少しでも和らげていきたいと思います。
〇臓器移植など霊的真理を知らないことで、誤った医療が行われていると感じました。自分自身は利他的精神で生きていきたいと思います。
〇死について学ぶと肉体の死は通過点に過ぎず、霊界で永生する死後の人生こそが本当の人生なのだと改めて思いました。死とはシルバーコードが切れる瞬間だと学びましたが、その瞬間に至るまで今生における人生を全うし、自分の人生を霊界に行ってから感謝して振り返ることができるようにこれから歩んでいこうと決意しました。