スピリチュアリズムの思想Ⅲ-霊的人生論
第6章「より高次の霊的人生を歩むための秘訣(2)
2022年1月22日(土)にかでる2・7の会場に4名の参加で第52回札幌シルバーバーチ読書会が開催されました。今回は、スピリチュアリズムの思想Ⅲ-霊的人生論の第6章「より高次の霊的人生を歩むために秘訣」(2)として(3)犠牲精神と(4)霊的視野について学ぶ機会を得ました。
(3)犠牲精神では、1)利他愛の極致ー犠牲精神の中で、利他愛の深さは自己犠牲の分量に比例することを学びました。自分のことより相手のため、自分のことより全体のためという生き方が自ら喜んで犠牲を引き受ける犠牲精神のレベルにまで高まったとき、完璧なものになることを学びました。
2)自己犠牲の法則と高級霊による自己犠牲の手本では、全人類の霊的向上と真の幸福のために自らの犠牲と苦労を買って出るなら、それに見合っただけの霊的成長が促されるようになることが示されました。どこまでも摂理にそった目的にために犠牲を払うことが肝心であり、自己犠牲は利他性のレベルを高め、霊的成長をより早く促してくれる賢明な生き方であることを学びました。また、自分の利益を一切求めず、地上人類の救いだけを願う高級霊達の犠牲精神や真の利他愛からスピリチュアリズムは展開していることも学びました。
3)犠牲精神は、自分の大切なものを他人に与えることでは、場合によってはそれまで大切にしてきたものや、金銭だけでなく、地位や名誉を犠牲にしなければならないような状況に立たされることもあることが示されました。また、偽りのボランティア・自己満足のボランティアではなく、「自己犠牲」のともなった本物の利他的行為が求められることが示されました。「霊的真理の伝道」という最高の人類愛を実践するためには、大きな犠牲が伴います。スピリチュアリストにはその覚悟が求められることを学びました。
4)犠牲精神は自己滅私・無欲の姿勢となって表れるでは、犠牲精神と滅私的な生き方は表裏一体の関係にあり、自分を忘れてスピリチュアリズムのために貢献することは、最も賢い生き方であり、最も多くの愛を神から受ける方法であることを実感するようになることを学びました。
5)最高の自己犠牲は家族愛を犠牲にすることでは、自己犠牲を愛に関していえば、「人類のために、どれだけ自分の愛する人・愛する家族を犠牲にしているか」が問われる。「愛する人を犠牲にする」ことこそ、地上における最も厳しい自己犠牲の姿となることが示されました。
6)犠牲精神は最高の道具意識を実現では、自己犠牲を喜んで受け入れ、道具としてすべてを捧げる決意をしたとき、霊界の人々はその人間を使って地球人類の救済活動を強力に推し進めることが出来ることを学びました。
7)霊的視野を持つことによって、自己犠牲は喜びとなるでは、「霊的真理」にそって見方、考え方をすることが「霊的視野」を持つことであり、より多くの人々の救いや幸せに貢献する喜びが心の中心を占めるようになり、犠牲を払っているという意識もなくなっていくということが示されました。
(4)霊的視野では、1)地上人に「霊的視野」をもたらすことがスピリチュアリズムの目的の一つであることを学びました。霊界人と地上人は、モノの見方・考え方が根本的に違っており、思考のスケール、洞察の深さなど大人と幼児ほどの違いがあると学びました。また、霊的視野をもつための努力とは「霊界人に倣って、通常の自分の見方・考えかたを切り替えて霊的なものにしていくこと、永遠なものにしていく」ことである示されました。
2)霊的人生に不可欠な霊的視野では、もっとも高次元の霊主肉従とは、物事の見方、考え方、判断をすべて霊的視点からできること、純粋な霊的思考ができることであると学びました。また、霊的視野によって心が広くなり、不動心と霊的楽天性が身に着くことも学びました。また3)霊的視野の習慣化・定着化のための努力では、絶えず真理に触れ、厳しく自己反省を重ね、勇気を持って心を切り替える努力を続けていくことの必要性について学びました。
参加者の感想
○霊主肉従とは、一体どういう状態なのか。これをずっと考えて来ました。物欲、肉欲をコントロールするという事は当然ですが、それは初歩的なレベルのことであり、最も高次元では「純粋な霊的思考」ができるようになることであると本日改めて確認しました。人間は霊的存在なので、当たり前といえばそうなのですが、純粋ということが地上人には難しいことに感じます。ただ、これが本来の人間の姿なので、頑張ろうと思います。(70代女性)
○犠牲精神と霊的視野について学びました。本物の犠牲精神とは相手の事を思いやるという気持ちから出てくるものだと思いました。という事は根底には愛があるということです。という事は利他愛の実践ということになります。「多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果、自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知る事が出来るでしょう。」というシルバーバーチの言葉。犠牲といっても結果自分の為になることなのですね。時間の許す限りシルバーバーチの霊訓に触れ、人生を正しい視野正しい焦点で(霊的視野)とらえられるようになりたいです。その為には様々な方向性の本を読み視野を広げ、理性の納得のいく読書を通しての擬似体験が私には必要だなと思いました。
(50代女性)
○体調の悪い日が続いていますが、何とか読書会に参加することが出来ました。こうした読書会で霊的真理に触れることで、神様の導きがあるように願っています。(60代男性)
〇本日は、犠牲精神と霊的視野について学ぶ機会を得ました。利他愛の深さは、自己犠牲の分量に比例するという箇所で、犠牲の伴わない実践というのは霊的な成長に繋がらないこと、時には自分の大切にしていることや愛する人をも犠牲にする崇高な精神が求められることを知り、改めて高級霊の道具として生きることの困難さを学びました。また、霊的視野をもつということは、「霊的真理」にそった見方、考えかたにしていくことであり、この境地に至ることは人類史上例をみない高次元の悟りであることを学びました。決して安易な道のりでないことはわかっているつもりでしたが、真のスピリチュアリストになっていく道は茨の道であり、困難を克服して行く道であることを強く感じました。(60代男性)