「スピリチュアリズムの思想編Ⅲ-霊的人生論-の第3章霊的人生を送るための実践項目〈3〉-霊的真理の普及活動(伝道)(4)-(5)」
8月28日(土)に会場になった川端様の自宅に3名、オンライン3名の全体で6名で第47回札幌シルバーバーチ読書会が開催されました。また参加できませんでしたが、インドーメーションや学習資料を読んで感想を書かれたメンバーもおりましたので、感想は掲載させていただきました。今回は思想編Ⅲ-霊的人生論-の第3章霊的人生を送るための実践項目〈3〉-霊的真理の普及活動(伝道)(4)-(5)について学び、その後で参加者からの感想が述べられました。
(4)霊的真理の普及活動の実際-種蒔きに徹する-では以下のことを学びました。1)「霊的真理の種まきと、時期の来た人との出会い」では、スピリチュアリズムでは、時期のきた人だけを伝道の対象としており、霊的真理を示して、時期のきた人がスピリチュアリズムに触れることが出来るようなチャンスを提供することが、種蒔き伝道であると示されました。霊的真理の所在を示すこと(会って話したり、手紙やインターネットを用いたり、読書会やスピリチュアル・ヒーリングを通して働きかける)ことによって、霊界からの導きが実を結ぶように仕向けることが、スピリチュアリストの役割であると学びました。
2)「霊的真理を手渡すまでが、私たちの責任領域」では、相手の霊的成長に関しては、どこまでも本人任せにすべきだと学びました。スピリチュアリストの責任の範囲は、時期のきた人に霊的真理を手渡すまでということが示されました。
3)「読書会やサークル活動を主催する上での注意点」では、主催者の自己満足に陥らないように、無意識のうちに湧いてくる“所有欲、支配欲”の誘惑と闘いをしなければならないと示されました。
(5)霊的真理の普及活動における進行と忍耐では以下のことを学びました。1)「ベストの道が進行していることを信じる」の中で、地上サイドから見ると、いつまでも良い人と巡り会えないように思われるが、霊界では着々と準備が進められている。スピリチュアリストとしてなすべきことは、自分を道具としてできるだけ多くの仕事をさせてほしい、時期のきた人に会わせてほしいと祈り続けることが大切であると学びました。
2)「ドアを軽く押してみれば、時期のきた人かどうかが分かる」では、時期のきた人は、そっとドアを押すように真理を示したり、相手の目に触れるところに真理をおくなど、時期のきた人はきっかけがあれば、自分の方から近づいてくると示されました。
3)「信仰と忍耐力が必ず試される」では、見にみえる実績が挙げられなくても、霊界の人々の導きを信頼して忍耐できるかどうかが試されている。伝える側の動機が純粋で、相手に霊的な準備が整ったら、やがて出会いの時が訪れると学びました。大切なことは、目に見える実績ではなく、スピリチュアリズムのために、人類のためにどれだけ真剣に誠意を尽くしたかということだと示されました。
続いて、スピリチュアリズム普及会の8月2日のインフォーメーション『地縛霊の救済はスピリチュアリズムの使命です―キリスト教聖職者の地縛霊と、スピリチュアリズムによる救済活動』の感想についても一人、一人から述べていただきました。以下の感想の中には、その内容も含まれています。
参加者の感想
◯我々の世界を取り巻く多くの問題には地縛霊が関わっており、その地縛霊を多く生み出して(送り込んで)いるのは、我々の世界です。地縛霊は霊界と地上界のはざまにおり、どちらの世界にも影響を及ぼします。ですからどちらの世界からも放っておくわけにはいかない人たちです。霊界側もあまりに多くの未熟な霊が送り込まれるので、何とかしなければと動きだしたのでしょう。この動きのなかで我々は何をしなければいけないのかが問われています。(60代男性)
◯諸般の事情により、久しぶりの我家からのオンライン読書会が可能となり、霊界の配慮に心から感謝いたしました。霊的真理の普及について、私達のやるべきことは霊的真理を相手へ手渡すことまでであり、その後は本人の責任において霊的成長の道を行くことである。やるかやらないかはあくまでも本人の意志を尊重しなければならないのです。私達が”相手を教育してやろう”など考えてはならないのです。”教育してやろう”というその心根は自分が主体となるという慢心が潜んでいるようです。そうではなくあくまでも、救いは本人が成さねばならないのであり、本人の自主性を尊重し、私達は温かく見守り、必要な時に手助けをするということであることを再認識できました。ありがとうございます。(70代女性)
◯今回初めて読書会に参加させて頂きありがとうございました。今までシルバーバーチの霊訓を心の拠り所として生活してきましたが、スピリチュアリズムの奥の深さに自分の理解力の限界を感じていました。今回、皆様のお話しを伺う事が出来てとても勉強になり、沢山の気付きを得る事ができました。霊訓を読むだけではなく、自分が出来る範囲で利他愛の実戦を心掛けていましたが、それは誰にでも出来る人助けでした。霊的真理を知っているからこその物事の見方、霊的背景を見て人に接する事が大切だという事に気付くことが出来て感謝です。これからは、様々な事を霊的真理、霊的背景に基づいた物の見方を心掛けようと思いました。(50代女性)
◯私自身、真理の普及らしい活動は何も出来ていませんが、霊界に導かれた方と巡り会えた時のために真理を正しく学び、道具である事を忘れずに出来る限りの奉仕をさせて頂きたいと思いました。今月も読書会が開催されました事に心から感謝致します。ありがとうございました。(50代女性)
◯(インフォーメーションの感想)この世でキリスト教徒として生きてきた多くの聖職者や信徒が、真のイエスの教えとは異る間違った教えを伝え、信奉して来たが故に、死後地縛霊となって苦しんでいると云う事実に、衝撃を受けました。少なくとも多くのキリスト者の生涯はスピリチュアリズムでも説く利他愛に根ざしたものであったろうと推測されますので、何故地縛霊に?との疑問が残りました。けれど、利他愛のなかで最も重要なことは、霊的真理の伝道であると云うスピリチュアリズムの根幹の教えが 欠落していた事が、キリスト教の大きな誤謬であり、罪であったことを、先ごろの学びによって気付かされ、この疑問が解決されました。イエスはじめ霊界の高級霊や地上の霊媒を通した懸命な救済活動によって、霊界で苦しむ多くの霊が一日も早く救いに導かれるよう、祈る思いです。かってカトリックを信奉していた自分自身の生き方も問われているようで、スピリチュアリストとしてのあり方に思いを致し、神の道具に徹し利他愛の日々を送れているか反省し、心を新たにしているところです。(70代女性)
◯受ける側はその人その人の時期があり、私はその意味が深く分かります。自分にその段階がこないと内容の解釈が難しいのです。また普及するにあたり自己満足、高慢にならず相手が理解できる段階がきたら必要があればそっと手を伸ばす。エゴ、依存にならない関係…ありとあらゆるスピリチュアル、宗教、講演会、自分たち個人、伝える側の向き合う必要がある大事な課題と思いました。勉強になりました。ありがとうございます。(40代女性)
◯霊的真理の普及活動としての伝道について2回に渡って学んで来ました。種蒔きに徹する、スピリチュアリストとしての責任領域、ベストの道が進んでいることへの確信と忍耐など大切なことを学びました。今回、また新たなメンバーが導かれて参りましたが、霊界の導きによって正に時が来た方が読書会に来られていることを実感します。なかなか集まることが出来ない環境ですが、こうした状況を乗り越えて先に進んで参りたいと想います。(60代男性)